THIRD DAY

2005年 7月22日

 

 

「佐伯さん」僕は聞きなれない声で目を覚ました。

僕はぼんやりとした頭を抱えながら、あたりを見回した。

 

そこは見慣れない部屋だった、壁に立て掛けてある

古びた時計は7時の針を指している。

 

ふと冷静になって考えた。なぜ、私の名前が分かるのだろう。

 

 

「どうして私の名前が分かったんですか?」

 

純粋に疑問になったので聞いてみた。

 

「あなたの上着のポケットから名刺が落ちたので、思わず拾って見たの」

彼女の悪戯をした子供が母親に、

言い訳をするような言い方が少しおかしかった。

 

 

やれやれ、それは確かに僕が就職活動用にと

大学で作ってもらった、学校の校章付きの名刺だった。

 

「詮索つもりはなかったんですけど、ジャケットを

ハンガーにかける時にポケットから思わず落ちたので」

 

繰り返し弁解していた。

 

 

一瞬、彼女が私の寝ている間にジャケットを

あさっている姿を想像してしまったが、少し考えた後でやめた。

 

彼女が好奇心で人のジャケットをあさろうが、

本当に事故で名刺が落ちたにしろ、どちらでもいいことだ。

どっちにしたって大した問題じゃない。

 

 

「すみません、ここはどこで、あなたは誰ですか?」

肝心な質問を忘れていたので、改めて質問した。

 

言葉を発した後に気づいたが、これじゃまるで記憶喪失者の第一声だ。

だいいち、ここはどこがどこかは確かに分からないが、

 

あなたは誰か?という問いは明らかにおかしい。

明らかに目の前の人は、食堂の女主人である。

 

 

「食堂の方で死んだように寝ていたので、声をかけて、

家の中の方で横になってもらっていたのですよ」

そう答えた。

 

どうやらよくよく話を聞くと、夕方あたりから、

たいして料理も頼まず、一人で延々お酒を頼んで、

その挙句飲みすぎて、前後不覚の状態になっていたようだ。

 

 

朦朧とした意識の中で、彼女の好意に甘えて、

家の布団まで借りていたようだ。図々しいにもほどがある。

 

僕は大学に入ってからたまにお酒を飲むようになったのだが、

疲れた時にお酒を飲むと、突然意識を失ってしまう事が2、3度あった。

 

友人からその時の僕の様子を聞く限り、暴れたりとか人に迷惑を掛けたりとかではなく、

純粋に眠ってるだけのようだということが分かってるのが、唯一の救いだ。

 

もともと私は、体質的にアルコールに強い体では無いのだ。

そのせいで、付き合いが悪いとかなんとか批判される事があるが、

こればかりは仕方が無いとあきらめている。

 

 

そんな体質なので、普段は自分からお酒を飲むようなことは無いのだが、

昨日に限っては、めずらしく飲みたい気分になったのだ。

 

しかも、店の女主人から昨日の僕の様子を聞く限り、黙々と飲み続けていたようだ。

おそらくそれは見知らぬ土地ということで、開放感も作用していたのだろう。

 

自分自身のことなのに「おそらく」という言い回しは辺だが、

実際あまりその時のことを覚えていないので仕方がない。

 

 

起きがけの朦朧とした意識の中で、ふと昨日観たテレビの事を思い出した。

特集のVTRで、特殊な光線を浴びた時に被験者の体から

一瞬文字のようなものが浮き出た時の話だ。

 

そんな昨日のニュースを思い出しながら、別の世界に思いを巡らせた。

自分の考えている事が文字として、漫画の吹き出しのように、

 

誰の目にも見えるようになるとしたら、異端な考えを持つ者を

ただちに取り締まる憲兵みたいな奴が出てきて、

 

思想犯罪者として牢屋にぶちこまれるかもしれないし、

悪ければ殺されるかもしれない。

そんなここではない、どこか別の世界のことに思いを馳せた。

 

 

その世界では想像する事ですら罪なのだ。

 

そんな頭の中の妄想世界を打ち消すかのように、突然声をかけられた。

 

「もしよければ食堂の方で朝食でもどうですか?もちろん代金はいただきませんよ」

 

彼女は少し微笑みながら言った。

 

「もし迷惑にならないのならありがたく頂きます」

 

僕はクシャクシャになったTシャツを手でピンと伸ばしながら言った。

実際まるでお腹が底無し井戸の様になっていたので、

その彼女の提案は素直に嬉しかった。

 

「階段を降りれば、1階は食堂になってますからそこで食事にしましょう」

 

僕は二つ返事で彼女の提案に同意した。

 

 

幅がせまく、一段一段が段差のある階段を降り、

細い廊下を少し歩くとそこは昨日来た食堂だった。

 

ただ一つ違うのはこの店にはまだ僕と彼女しかいないということだ。

僕は、雑誌入れから無造作に今日の朝刊をとる。

新聞を斜め読みしていると、都心のカラスが突然いなくなったとか、

 

どこかの国とどこかの国の戦争とか、誰が結婚して、誰が死んだとか、

そんな日常のとりとめのない現実が書き記されていた。

 

記事の内容はどれもこれも、自分とは全く別の世界で起こった出来事のように、

まるでリアリティーが無い。

 

僕は新聞を読む時に、自分と比較的身近な問題を、頭の中で3位まで

優先順位をつける癖がある。

 

例えば、今日の新聞の例で挙げると、都心のカラスの突然の消失とか、

最新ゲーム機の発表とか、都心のどこかの名前の知らない大学の倒産とか。

 

この辺りが、今日の朝刊の中で自分の生活圏の中で

比較的関係がありそうで、なおかつ興味を引いた記事である。

 

しかし、僕が知りたかった昨日のテレビの特集でやっていた「特殊な光線」

についての記事は、新聞を隈なく見てもどうやら載ってないようだった。

僕が新聞を一通り読み終えると奥の方から声がかかった。

 

 

「食事のほうが出来ましたからそっちに持っていきますね」

 

「いろいろお世話していただいて、その上食事まで頂いてすみません」

 

僕は言った。僕は温かいご飯をほおばり、一気に熱い味噌汁で飲み流し、

アジの開きの骨を丁寧に取り除き、ご飯と一緒にかけこんだ。

お腹が減ってたせいもあって、ぺろりとたいらげてしまった。

 

 

「もしよければおかわりをお持ちしましょうか?」

 

彼女は僕のあまりの食欲に少なからず驚いていたようだ。

僕がそんなに食べるタイプに見えなかったからだろう。

 

「ええお願いします、まるでお腹がドーナッツのように空っぽなのですよ。」

 

ドーナッツという比喩の妥当性を頭の中で考えを巡らせながら、苦笑いして答えた。

 

 

 

料理が出来るまでの少しの時間、お店のテレビを見た。

番組は都心のカラスの突然の消滅についての特集がやっていた。

 

分かりやすくて、なおかつ大衆受けしそうなネタではある。

専門家はカラスの突然の消滅は、電波の影響だとか、

 

環境汚染の影響だとか、鳥の流行病の影響だとかあれこれ推察していたが、

僕の頭の中を、空しい死骸の様な言葉は僕の耳を通り抜けていくだけだった。

 

 

テレビを消すと急に部屋がシンとして、

急にこの食堂が異常に広い様に感じられた。

 

もしかして僕が知らない間に少しずつ、

この部屋は大きくなってるのかもしれない。

僕はそんな事を考えていた。

 

 

いろいろな可能性が有るのだ。

誰が絶対に違うと断言できるだろう。